はじめまして、松下と申します。
今回は僕の自己紹介とブログの理念について
お話しようと思います。
僕は31歳の時にネットビジネスと出会い、
今も勉強を続けています。
ざっと箇条書きで僕の紹介をしますと、
・人生無気力人間だった男がネットビジネスに出会ったことで生きる希望が見つかり、月収100万の目標に向かって夢中で努力するようになる
・はじめの1年間は間違った努力を続けて全く成果が出なかったが、本物の知識を学び取り組んでからブログで安定した収入を得るためにはなにをするべきか理解する
・心から信頼している月収500万起業家の情報発信から勉強&実践の日々
・これまでほとんど読書をしてこなかったが知識を得る快感を覚えて、ライティング術、心理学、自己啓発の本を読むようになる
・さらなる成長のためにセミナーやブロガー同士の懇親会に参加して、新しい出会いと学びを求め続ける
と、このようにネットビジネスを
始める前の人生に絶望して無気力な
日々を送っていた頃の自分とは、
比べ物にならないほど生き生きと
した生活を送れるようになりました。
今では、数々の情報商材やセミナーで
得た知識を勉強して実践することで、
ワクワクする日々を送っています。
でもこんな風にネットビジネスで充実した
生活を送れるようになった話をすると、
「はいはい、また勧誘なんでしょ?聞き飽きたよ」
と思う方もいると思います。
なにせ僕自身もネットビジネスを始める前は、
皆さんと同じように疑っていましたから。
でも、本当にネットビジネスには
劇的に人生を変える力があります。
それだけでなく、
性格や考え方、人生の価値観までまるで別人の
ように変えてしまうことも。
僕がネットビジネスを知ったきっかけは、
あるYouTube動画でした。
ネットビジネスを知る前の僕は仕事が
終わり家に帰ってからニコニコ動画や
YouTubeを見ることだけが楽しみでしたが、
ある時たまたま目に付いたのがその動画でした。
その動画では、
「20歳からネットビジネスを起業して
初年度から年収1000万を超えました。」
「今では、全く働かなくても仕組みが
勝手に稼いでくれるので、寝ていても
月収500万円を切りません。」
というような、
いかにも怪しいものでした。
「また怪しいビジネスのくだらない勧誘か」と思い、
最初は気にも留めずにスルーしました。
でも数日後、どうしても気になった僕は
ネットビジネスの仕組みについて検索する
ようになっていました。
そして調べていくうちに、
「あれ?これってマジで稼げる?」
と感じるようになり、
さらにネットビジネスで成功している人達の
ブログを読んでいくと、
・PC1台で稼ぐ仕組みを作り、塾経営をする年収3億円を稼ぐ27歳の起業家
・ネットビジネス歴1年半で月収200万を超えた25歳の元ヘルパー
・企業4社の取締役になり、ネットビジネスでも月収500万を稼ぐ31歳元整体師
こういった僕がこれまで生きてきた常識では
到底考えられないような超人たちが、
世の中には実際にたくさんいる事を知りました。
さらに彼らはネットビジネスで
得たビジネスの知識や資金を使って、
企業コンサルや海外ビジネスなど
気の合うビジネス仲間とやりたいこと
を思う存分やり、
思いっきり人生を満喫する日々を送っていました。
この時点ですでに僕はネットビジネスに
可能性を感じて虜になり、
そこからは夢中になって、
ネットビジネスについて
調べて勉強を重ねていきました。
それからは勉強すること自体が楽しみになり、
自分の成長を実感出来るように。
また、セミナーや懇親会で出会った
ビジネス仲間とも連絡を取り合い、
日々の成果を報告し合う事も。
今は以前の自分とは比べものにならないくらい、
充実した人生を送れています。
でもこんな風に書くと、
「へー、そんな生活を送れている人も
いるんだなぁ。自分には関係ない話だけど。」
と感じるかもしれないです。
でも全くそんなことはありません。
ビジネスについてある程度知った
今だから言えることがあります。
『ビジネスに才能は一切関係ない。
正しい知識を得て、正しい努力を
するだけで稼げるようになる。』
ということです。
そうハッキリ断言できるのは、
過去の僕は欠点だらけの人間だったから。
人に嫌われることを極端に恐れる小心者で、
1人じゃ何もできないのような男。
それが過去の僕です。
僕がどれだけダメ人間で社会人として
詰んでいたのか。
そして、どんな道のりを経て今の希望に
満ちた生き生きとした人生を送れる
ようになったのか。
そのことを詳しくお話するために、
ここから先は僕の過去とブログの理念について
話していこうと思います。
長くなりますが、お付き合いいただければと
思いますのでよろしくお願いします。
Contents
松下の理念。依存度を減らせば、怖いものなし
僕のブログのコンセプトは、
『依存度を減らせば、怖いものなし』
という理念を元に情報発信をしています。
どんな人でも多かれ少なかれ必ず何かに
依存して生きています。
その依存先が友達だったり、地域だったり、
国だったり、会社だったり、親だったり…
色んなものに依存しているはずです。
地域活動をやらなかったら、孤立して村八分に。
やりたくない仕事でも会社を辞めたら、
生きていけない。
そういった不安と向き合いながら、
常に現代人は生きています。
そんな中で昔の僕は人より特に依存度が強くて、
子供の頃から孤立するのが怖くて、
嫌われないように人の
顔色を窺って生きてきました。
何か頼まれたら断れず嫌々ながらも引き受ける。
誰かに嫌な事をされても、
怒る勇気がなくて黙ってしまう。
そのくらい根性なしの小心者でした。
そして、そんな弱い自分が
嫌で嫌で仕方ありませんでした。
でもどうしてもそれを治すことも出来ず、
これまでずっと悩みながら生きてきました。
ですが、ネットビジネスを始めることでその
苦しい生活を一変させることが出来たんです。
ネットビジネスと出会い、
自分の力で稼ぐ手段を見つけたことで
地域にも会社にも人にも依存しない
自信が手に入れました。
僕も本音を言えばネットビジネスを
始めた理由は、お金です。
「ネットビジネスで不労所得を
ゲットすれば、週5で嫌な仕事を
やらずに生活できる!」
「そしたら、一日中好きなゲームやネット動画
が思う存分出来る最高の日常が待ってるはず!」
そう思って始めました。
でもネットビジネスから得たものは
お金だけでなく、
自信も得ることが出来ました。
僕にとって自信とは生きるエネルギーそのもの。
自信がなければエネルギーもなくなり、
無気力で何もやる気にならないけど、
逆に自信さえあればなんでも、
上手くいきます。
世の中には過去の僕と同じように
自信がなく、依存度の高い人は多いと思います。
日本人の7割の人が自分に自信を持っていないと
言われるくらいですから。
そんな人たちにコンセプトのメッセージを
伝えたくて、僕はこのブログを書いています。
ネットビジネスで稼げるようになれば、
あらゆる依存から抜け出し、自由になれます。
そうなったら、マジでなにも怖いものはなしです。
お金のために嫌な仕事を続けることも、
孤独を避けるために周りに無理して合わせることも、
なくなります。
好きな時に好きな場所で好きな人と
好きな仕事が出来る。
苦労することがあっても、
それは将来のために必要な苦労。
社会人時代の人からやらされていた
無意味な苦労とは全く違う。
自分を成長させるので、むしろ楽しんで出来る。
日本人は外国人に比べて我慢強い国民です。
それは我慢が美徳であるという
教えが根底にあるから。
でも僕たちは別に我慢することが
好きなわけじゃないし、
我慢するために生まれてきたわけじゃない。
みんな人生を楽しみたいはず。
だからこそこれから先、ネットビジネスで
もっと人生を楽しんで生きていく人が
増えていけばと思っています。
そのためにも僕はこのブログで、
ビジネスを成功するための方法、
依存度を減らして自由になる方法、
人生を楽しむためのポジティブな考え方、
などを書いていこうと思っています。
興味のある方は是非、
他の記事も読んでみて下さい。
ここからは僕のブログの内容を
より理解しやすくなるために、
僕の過去について共有しておこうと思います。
――――――――――――ここから松下の過去話――――――――――――
小学校時代 団体スポーツがトラウマに
小さい頃の僕は、体を動かすのが好きで、
近所の同い年の子とよくおいかけっこや
公園で遊ぶような活発な子でした。
ただ、運動自体は好きでも絶望的に
運動神経が悪かったので、
サッカーや野球のような団体スポーツでは、
みんなの足を引っ張ることが日常でした。
体育のサッカーでパスをもらっても味方の
ゴールに向かってドリブルしてしまい、
味方から「逆だぞ!」と怒られて
余りにも役に立たないので、
結局、最後のほうではゴールキーパーを
ずっとやらされるハメに。
本当はみんなと同じようにかっこよく
パスやシュートをしたかったのに。
でもそのゴールキーパーもうまく務まらず、
敵にゴールを決められた時は
一番うまい人から胸倉を掴まれて、
本気で怒られたこともあります。
他にもソフトボールでせっかく
仲間がヒットを打ってくれたのに
ベースを踏み外して、
相手チームから「踏んでない!」と指摘。
ホームに帰ってきても自分の点は
加算されなかったこともあります。
あの時、自分の点が加算されて
いれば勝っていました。
責められはしなかったですが、
自分の責任で負けた決定的な出来事
だったので、一生もののトラウマに…
あの時のチームメイトの冷たい目線は忘れられないです…
それ以来、僕は人の目を常に気に
するような性格になりました。
そういった度重なる団体スポーツでの
ミスで自信がどんどんなくなっていき、
いつしか僕は個人スポーツだけをやるように。
当たり前ですが、団体スポーツは個人スポーツ
と違って自分のミスがチーム全員の迷惑になるので、
楽しそうに野球やサッカーが
出来る子たちは当時から、
「あの子たちはミスが怖くないのかな」
と考えて、小学生時代を過ごしてました。
中学~高校時代 個人スポーツの部活に入るもさらに自信を失う
そんなこともあり、中学の部活では絶対に
団体スポーツは避けようと固く決意して、
卓球部に入部することに。
卓球はたまたま近所の人から
もらった卓球台が家の車庫にあったので、
遊び半分で友達とやっていたこともあり、
割と得意でした。
入部した直後は20人近くいた同学年の中でも
上位のほうには入っていたと思います。
大会でも3回戦くらいまでは進むことが出来ていました。
でも、そんな調子も最初だけ。
あまり本気で部活をやっていなかったこともあり、
以前まで勝ってていた同級生に
勝てなくなりはじめて、
その人数が1人2人と増えていき、
中3のラストのほうでは、
ほとんどの同級生に負けるほどに。
最初はみんな返せなかった
サーブも簡単に返されるようになり、
「もう松下のサーブ普通に返せるわw」
と同級生に嗤われる始末。
完全に真面目にやってなかった
自分が悪いのですが、
やっぱり悔しかった…
さらにクラスでは嫌な事を嫌だと
言えない小心者の性格が災いして、
嫌な事を押し付けられることもしばしば。
中1の頃に誰もやりたがらないので
学級委員を半ば強引に押し付けられ、
自分の研究したいことを好きな人と
組んで研究することができる総合の授業では、
好きじゃない人からの誘いを断れず、
一緒に研究するような体たらく。
情けないの一言しかなかったです。
そんなこともあり、当時仲が良かった
友達から怒られたことも。
「おまえ、あいつの言いなりじゃねーか!」と、
その通りだったので、なにも言い返せなかったです。
そんな中学時代を送っていたので、
高校に入学してからは目立たないように
生活しようと決めていました。
それでも運動部に入って何かを
頑張りたかったので、
陸上部の長距離をやることにしました。
まぁ最初から長距離に興味はなかったんですが、
気付いたら長距離選手になってましたw
ともあれ今度こそ真面目に部活を
やってしっかりと、
形に残る成果を出そうと考えていましたが、
ここでも自分の運動神経の無さを改めて痛感。
始めのうちこそ順調にタイムを縮めていき、
ハッキリと数字に表れるので自分が
成長している実感を持てて楽しかったけど、
高2から伸び悩んでいき、
毎日限界近くまで頑張って走っているのに
全くタイムが縮まなくなる。
それこそ、部活が休みの日でも
自主練で海岸の砂浜を5㌔走り、
修学旅行先の沖縄でも那覇市内を
朝5時からランニング。
迷子になりかけることもw
それでも大会の5000m走ではいつもビリかビリ2。
トップの選手には400mトラックを
周回遅れにされるのが、
当たり前になっていました。
どの大会でもそんな調子だったので、
恥ずかしくて学校のテントに戻れないことも。
終いには半年で新入部員の後輩に
タイムを抜かれる始末。
校内の10㌔マラソン大会では
長距離選手なのに男子10位入賞すらできず、
代わりにいつもタイムを計ってくれる
女子マネージャーが女子3位に入賞するという、
どっちが選手でどっちがマネージャーなのか
わからない状態に。
影で同級生からも後輩からもバカに
されているんじゃないか。
そう考えるだけで、
恥ずかしくて何度も辞めようか
と思いましたが、
それでも3年間なんとか続けました。
大学時代 初バイトで気付いた自分の絶望的なスペックと不況の波
入学した大学は中の中クラス。
そんな普通の学校の情報学部に入学しました。
元々映画が好きで3DCGに興味があったので、
その方面の専門学校に入ろうと思ったのですが、
親の反対もあり、情報系の大学に入学することに。
ここでも結局自分の意見を通せませんでした…
入学時に今までの情けない自分を捨てて、
大学デビューを密かに狙って
テニスサークルに入る僕でしたが、
サークルに馴染めず半年ほどで幽霊部員化。
学部の友達は出来ましたが、
みんな見事に僕と同じオタク属性でしたw
学校帰りにみんなでゲームセンターの
ガンダムのゲームをやっていましたw
目指していたリア充ライフとは
ほど遠い学生生活でしたが、
それなりに学生生活を楽しんでいました。
ただ入学して半年経った頃に、
「暇だしなにかバイトでもやろうかな」
と考え、コンビニのバイトをやろうと決意。
そして、アパートのすぐ近くのセブンで
少し無理を言ってバイトをすることにしました。
そして、このバイトで自分の低スペック具合を
嫌というほど思い知ることに。
僕はこの人生初のバイトでミスを連発。
・仕事はなかなか覚えられない(タバコの種類など)
・2人勤務なのに同僚の動きに合わせて連携が取れない
・毎日同じ仕事をしているのに時間を見て行動できない
こんな感じで散々同僚の人やオーナーに迷惑を
かけていたので、毎日のように怒られる始末。
団体スポーツを避けてきたツケがここにきて、
帰ってきました。
時にはお客さんの前で怒鳴られることもあり、
泣きそうになるのをぐっとこらえることも。
典型的なダメなバイトでした。
「仕事が出来る方じゃないと予想はしていたけど、
まさかここまでひどいなんて…」
「こんなんで就職できるのか。
就職できたとしてちゃんと働けるのか。」
5分ほどの出勤時間でしたが、
毎回、バイトを終えてその5分の
帰りの夜道を歩きながら、
こんな不安と戦っていました。
当時は本当にバイトが不安で怖くて辛かったです。
そんなに辛いなら辞めればいいのにって
思うかもしれませんが、
初バイトで辞めたらきっとこの先
なにをやってもダメだという強迫観念があり、
辞める勇気すらなかったんです…
でもなんとか仕事を続けていく
うちに少しずつ仕事を覚えていき、
バイト仲間とも打ち解けて会話も出来るように。
そしてオフの日も隣町まで電車で遊びに行ったり、
バイト仲間のアパートで鍋パーティーを
するまでになれました。
この時、初めての達成感と自分の成長を
感じられました。
結局、そのバイトは1年半ほどで辞めましたが、
仕事のやり方や仲間同士の気遣いなど
大事なことを色々と勉強出来たので、
いい経験になりました。
しかし安心したのもつかの間、
次なる試練が。
それが2008年9月に発生した
リーマンショックの大不況。
僕は単位があと一歩足りず、
1年留年したこともあり2011年卒に
向けて2009年から就職活動を始めました。
当時の学部友達やゼミの友達もみんな、
僕と同じように就職活動に頭を悩ませている状態。
僕も早いうちに合同説明会や面接で動いていたけど、
持前の自信の無さと負のオーラを隠し切れず、
ことごとく面接は全滅。
そもそも面接までいくことが難しく、
7割くらいは書類選考落ちしてたと思います。
当時の心境はまさに自暴自棄状態w
あまりにも受からないので途中から、
「なんでエントリーシートや履歴書をわざわざ
書いているんだろう。どうせ受からないのに。」
「説明会や面接にいくだけ無駄なんだから、
時間と交通費がもったいないなぁ。」
とこんな風に落ちる前提で考えていたので、
当然どこも受かるはずもなく…
親が心配して合同説明会や
他の企業応募を探して、
実家から書類を送ってきてくれる
こともありましたが、
そんな心遣いがかえって辛かったです。
結局、僕は一社も内定をもらう
ことが出来ず、
40社落ちという壮大な記録を作って
内定なしのまま、大学を卒業しました。
社会人時代 衝撃の初就職と人生の疑問
大学を卒業してからは、
実家に帰って1年半ほど実家の
農業を手伝うことに。
最初は実家でのんびり農業を
するのもいいかなっと考えたのですが、
やはり一度は社会に出たいと思い、
就職活動を再開。
とりあえずハローワークで探せばいいかと、
ハローワークの目ぼしい求人を
片っ端から受けるもここでも全く受からず。
やはり、僕のような人間を雇って
くれる企業なんて存在しないのかと
諦めかけていたところ、
運よく1つの企業に内定をもらう
ことが出来ました。
それは冷凍食品の配送兼営業で、
2tトラックを運転して居酒屋やスーパーの
総菜部に食品を配送する仕事でした。
しかし、そこはまさに絵に描いたような
ブラック企業でしたw
・基本給が高卒の初任給以下の給料
・残業代は固定なので、一定までしか出ず残りはサービス残業
・退社は20時21時が当たり前、繁忙期は0時を回ることも
・半年に一度の営業成績発表ではワースト3位までの社員を前に出し、全社員の前で社長からの罵倒(実話です)
上司とも全くウマが合わずに、
上司からも怒鳴られるような毎日。
さすがに限界だと感じて、
2年半ほどで退職しました。
それから半年後。
親戚のツテでカード製造会社の工場に再就職しました。
そこは親戚の紹介もあり、
しっかりとした会社でした。
残業代もしっかり出るし、
社長から直々に罵倒されることもない。
毎日4~5時間の無茶な残業もなし。
ここなら健康的に働けると
安心していました。
でも同じ作業の仕事を毎日
こなしていくうちに、
ふとあることを考えるように。
「このままここで働き続ければ、確かに安定した
生活を送ることが出来る。でもそれって本当に
僕が望んだことなのかな?」
「他の人と同じように同じ時間に出勤して、
同じ作業をして同じ人たちと食堂で昼食を
取り、同じ時間に帰る。」
「それって本当に自分にとって幸せな事?」
そんなことを考えながら、
仕事をするようになりました。
世の中で生きていく上で安定することって
やっぱり大事です。
安定しないと家族も作れないし、家も持てない
ですから。
でもその反面、もっと人生を楽しみたいという
思いもあの頃の僕には確かにありました。
もっと知らない国へ海外旅行をして、
色んな人と出会いたい。
生活場所や時間に縛られず、
好きな時間に好きな場所で仕事をする
生活を送ってみたい。
お金を気にせずに美味しい料理を食べ、
スカイダイビングやサファリツアーなど
やりたいことを思う存分やってみたい。
そんな願望が日に日に強くなっていき、
それを叶えるために僕は、
地元の田舎を出て都会に行けば
その答えが見つかるかも、
と考えて上京することにしました。
人生の分岐点となるネットビジネスとの出会い
それからはすぐに行動して、
引っ越しました。
突発的な一人暮らしだったので、
不安はありましたが、
貯金もそこそこあったし、
都会に行けばすぐにバイトくらい
見つかるだろうと考えて、
ちょっとしてからバイト探しを始めました。
そして3カ月目にカラオケ屋の
バイトを始めて、
家ではネットで自由な人生を
掴むための情報収集を開始。
当時は本当にただがむしゃらに情報を
かき集めて調べていましたw
株、FX、個人企画のコスプレ撮影会、
webサイト作成などのフリーランスなど
色んなものを学び勉強していましたが、
なかなかコレ!というものがなくて、
モヤモヤしていました。
そんな中、ついに僕の運命を変える
ネットビジネスと出会います。
それが冒頭でもお話したYouTube動画でした。
ここは冒頭でお話した通りなので割愛しますが、
ネットビジネスの仕組みを
理解していくうちに僕は、
「これなら自分にも出来るかもしれない!」
「とにかくダメ元で挑戦してみよう!」
と考えるように。
あの時の僕はまさに有頂天気分。
ネットビジネスについて調べれば
調べるほどワクワクして、
ベッドに入って寝る前にはいつも、
稼げるようになったら
どんな生活をしようか
海外移住をしてどこで暮らそうか
他にどんなビジネスをやろうか
などと妄想を膨らませていました。
現実の厳しさを知り、自分の甘さを痛感
そんなネットビジネスの可能性に
ワクワクしていたある日、
1通のDMが届きました。
それはTwitterのDMで、
「僕もネットビジネスを
実践して稼いでいます。」
「ネットビジネスでしたら、
簡単な説明も出来るので
一度電話でお話しませんか?」
というものでした。
普通に考えたら怪しさMaxですが、
有頂天になっていた僕にとっては
どこ吹く風w
ネットビジネスのコンサルを受けて、
勉強したいという気持ちもありましたが。
そして早速、電話をすることに。
当然それはお察しの通り、
高額塾の勧誘でした。
でも僕も誰かから
教わって学びたいと考えてもいたので、
コンサル料を払って入塾しました。
コンサルをしてくれる方はすでに
ネットビジネスで月収200万以上稼いでいる方で、
PDF資料や動画を使って丁寧に教えてもらいました。
最初のうちは、
素直に言われた通り実践していき、
開始3カ月で初報酬1300円を稼ぐことに成功。
少額ですが、生まれて初めて自分の
力で稼いだ事実が素直に嬉しかったです。
「このまま言われた通り続けていけば、
稼げるようになれる!」
という確かな手ごたえを感じました。
しかし、そこからは雲行きが徐々に
怪しくなることに。
初報酬を得てからは新メンバーの
勧誘をするようになり、
TwitterでのDM、
テレアポで直接電話、
そしてカフェでの勧誘。
最初はこれもビジネスの勉強の
1つかなと考えて続けていましたが、
DMの返信で来る冷やかしメール、
テレアポの約束のすっぽかし、
そんな勧誘活動をしているうちに、
「自分はなにをしているんだろう。」
「もしかして騙されている?」
そんな疑惑が頭の片隅から徐々に
湧いてきました。
そして、その不信感は入塾してから
8カ月後に確信に変化します。
他の塾生に詳しく話を聞くと
その塾生のほとんどが、
ビジネスの収益ではなく
勧誘報酬のみの利益だということが発覚。
絶望した僕は、間もなく塾を辞退しました。
初めての高額塾だったので、
やはりショックは大きかったです。
しかも勧誘活動の途中でネットでの
ギャンブルがほぼ100%当たると言われて、
高額ツールも購入してしまい、
結局それも費用を回収する前にツールが停止。
まるまる赤字になり、
高額塾と高額ツール合わせて、
100万以上の損失を出すことに。
高額塾はともかく、高額ツールまで購入した
のは本当にバカでした…
その当時は、なかなか稼げない焦りと
減っていくばかりの貯金で思考停止していて、
藁にもすがる思いで購入してしまったので、
後悔しか残っていません。
現実の厳しさに打ちのめされ、
放心状態だった僕は、
ネットビジネスを諦めようか
本気で悩んでいました。
が、どうしても労働に縛られない
自由な人生を諦めきれませんでした。
何より1年間の時間とそれまでの費用を
今更無駄に出来ない!
という執念があり、
もう一度だけ賭けてみる事にしました。
先が見えない暗いトンネルからついに脱出!一筋の光明が見えた瞬間!
ネットビジネスを始めてから1年後…
貯金が無くなりかけていた僕は、
無様にも親に頼ることにして
地元に戻ることに。
それでも迷惑をかけて、
貯金もほぼ失った僕を
親は迎えてくれました。
あの時のことは感謝してもし切れなかったです。
そして稼げるようになったら、
絶対に親孝行しようとひそかに決意しました。
それからはまたバイトをしつつ、
ネットビジネスを勉強する日々。
最初は独学でネットビジネスをやっていた
時期もありましたが、結局それも成果が出せず
やはり独学では限界があると思い、
本気で情報収集をするようになりました。
そしてついに、「この人は本物だ!」と
自分が心の底から思える人と出会うことが出来、
その人の情報商材を購入して学んだ知識は
確実に稼げるようになると確信できるものでした^^
あの時は真っ暗闇のトンネルの中、
ひたすら歩き続けていた地獄の日々から
一気に光が広がる明るい世界に出られた。
そんな感覚でした。
「これでついに僕も自由な暮らしを送れるんだ!」
「これからの人生は今までとは全く違う明るいものはず!」
そんな幸福を心底味わうことが出来たんです。
今考えるとその決め手になったのは、
やはり正しい知識の勉強だったと思います。
以前の高額塾から一時のアクセスの増やし方など、
小手先の技術は学んでいましたが、
それらはビジネスの枝葉の知識にすぎず、
肝心要のビジネスの本質については
教えてもらえてなかったです。
その結果、全く稼げない苦しい日々を送ることに…
でもその時のビジネスの本質の存在さえ
知らなかったので、
僕は才能やセンスが全くない
人間だから稼げないのかと思い、
絶望していました。
でも実際はそうではなく、
単に正しい知識を知らなかっただけ。
ネットビジネスでは正しい知識を
得ることがなによりも大事になります。
正しい知識を得て、正しい努力をする。
そうしないと絶対に稼げない。
そうハッキリわかるほど、今回得た知識は
僕が今まで勉強してきた知識とは
全く違うものでした。
ネットビジネスでは、ライティングや
SEO知識は確かに大事です。
ですが、それらは枝葉の知識であって
ビジネスの本質ではありません。
ネットビジネスで成功するためには、
ビジネスの本質を知ることが絶対条件であり、
ライティングやSEOなどの知識は
あればなおいい知識にすぎない。
現在僕は、さらに勉強と実践を続けていて、
目標の月収100万を目指して走り続けています。
今では、あの時ネットビジネスを諦めなくて
本当によかったと心から思います。
――――――――――――松下の過去話はここまで――――――――――――
何かに挑戦するのに年齢は関係ない
いかがだったでしょうか。
僕がいかにダメ人間だったかが伝わったと思います。
冒頭のセリフをもう一度書きますが、
『ビジネスに才能は一切関係ない。
正しい知識を得て、正しい努力をするだけ。』
これは間違いないです。
僕もビジネスを学ぶ前は、
ビジネスで成功してお金持ちになれる人は
才能やセンスがある人間だけだと思ってました。
それこそFacebookのマーク・ザッカーバーグや
Appleのスティーブ・ジョブズのような人たちです。
でも、僕がこれまで懇親会やセミナーで
出会ったネットビジネスで稼いでいる人達は、
僕と同じように、
過去仕事が出来なかったダメリーマンや
スマホゲームでひたすら暇を潰していた大学生、
パートで働く普通の主婦が多かったです。
特別これといって何かの才能が
あったわけじゃない人達。
そして30代40代の方も多くいました。
世間一般で言えば、30歳を超えて自分の
夢を追いかけている人は、
「現実が見えていない可哀そうな人」
という見方をされることが多いです。
でも、僕は諦めずに続けたからこそ
充実した日々を送れるようになったし、
僕がここまでネットビジネスを
諦めずに続けてこられた理由は、
ある1つのアンケートを知ったことも大きかったです。
そのアンケートとは、アメリカの老人ホームで
80歳以上の高齢者に対して、
「あなたが人生で一番後悔していることは何ですか?」
というアンケートで、
7割の人が同じ回答をしました。
それは、『挑戦しなかったこと』
これをあるサイトで見つけた時
ここでネットビジネスを諦めて、
本当に周りと同じ安定した人生を
送るだけで幸せになれるのかと
自問自答することに。
そして答えはNOでした。
僕は新しいチャレンジに年齢は関係ない
と考えています。
それともう1つ、
これも冒頭で少しお話しましたが、
個人でお金を稼ぐことが出来れば、
あらゆるものの依存をやめられます。
会社からも地域からも国からも
依存しなくなれば、
どこで何をしていても一切不安が
なくなり、自由になれます。
悔いのないようにやってみたい
ことに何でも挑戦して、
思いっきり人生を楽しみましょう。
ただ現実問題として、何かに挑戦するなら
どうしてもお金が必要になってきます。
そのためにもネットビジネスをやるべきです。
ネットビジネスは初期費用もほぼかからず、
ネットを使うので必要な物は
PCとネット環境だけ。
しかもしっかりと仕組みを作れば、
自動化も出来るので多額の不労所得を
作ることができます。
文字通り人生そのものを変えることが出来るわけです。
もちろん、そうなるまでにかなり
努力しないといけないし、
給料1月分2月分の自己投資が
必要になる場合もあるかと思いますが、
それだけの自己投資でこれから先の
人生を変えられるのなら安いなぁ
と僕は思います。
まずは生活に困らず、余裕ができる
くらいの不労所得を得てから、
自分のやりたいことをやりましょう。
実はそういった生活をしている人は
世の中にはたくさんいます。
・ネットビジネスで不労所得を得てから、海外に留学して自分の本当に学びたいことを勉強している人
・ビジネスの知識を使ってから、夢だった自分のBarを開いて連日満席にして稼いでいる人
・どこでも仕事が出来るので、世界中好きな時に好きな国へ旅行して自由に働いている人
すごい世界ですが、ネットビジネスで
稼いでいる人達にとってはこれが普通に
なります。
夢を追いかけるのに手遅れだという年齢はないです。
何歳になっても夢を追いかける権利はあります。
僕自身もこれから先、さらに勉強して
稼げるようになったら、
世界旅行も海外移住も新しいビジネスも
やってみたいと思ってます。
そして、60歳70歳になっても新しいことに
チャレンジをしていくつもりです。
そのためにも今は、自己投資を続けて、
さらなる成長のためにも勉強をします。
今はネットビジネスをあの時諦めなくて、
本当良かったと思います。
あの時諦めていたら、今も
暇な時間にネットサーフィンを
して時間を潰す無気力な日々を
送っていたでしょう。
YouTubeやニコニコ動画で適当に
知らない人達とチャットをかわし、
数少ない友達とたまに飲みに行って、
職場の上司や同僚の愚痴を言い合う
ような生活だったと思います。
いや、もしかしたら就職も出来ずに
そのままバイトを続けていた可能性も。
そう考えると今でもゾッとします。
でも諦めずにネットビジネスを
続けたことで今では、
安定収入を得ることが出来、
懇親会やセミナーで出会った
ブロガー仲間で情報交換し合い
ながら勉強して、
自分の明るい未来を想像してワクワク
しながら実践する日々。
32年間で間違いなく今が一番、
人生が充実していると思います。
この記事を読んで少しでもネットビジネスに
興味を持ってもらえたら、幸いです。
長くなりましたが、最後まで読んでいただき
ありがとうございました。